家づくりにおいては工務店経営をどのように考えるかが
物凄く重要です。
ハウスメーカのように、多大な広告宣伝費を掛け、
利益だけを追求すればいいという問題ではありません。
建築会社や工務店は適正な利益を頂かなければなりません。
安売りや極端な値引きは会社の存続が危ぶまれます。
倒産でもしたなら、その会社に係わった多くの人に迷惑がかかります。
ただ、利益をたくさん出せばそれでいいということでもありません。
あくまで適正な利益、経費を頂くというのが当たり前に良い家を作るために
必要なことです。
松下幸之助さん(パナソニック創業者)
の語録に私たち工務店や建築会社が参考にしなければならない
経営のあり方が書いてありましたので、ここで紹介します。
潔い(いさぎよい)商売
独立して商売を始める前、私は大阪電灯という会社に勤務していた。
その頃に聞いた話で非常に感じ入ったものの一つにこんなことがある。
当時、大阪市内ではまだ市電も自動車もなく、大阪駅頭には人力車がずらりと並んで客を待っていた。
その車賃には、今のタクシーほどでないにしても、行き先によってだいたいの規定があったが、
客の中には一定の車賃に加えて、五銭なり十銭なりを心付けとして添えてやる人が多かったという。
車夫の方でも相した客を乗客として歓迎し、それがいわば当時の一つの風習になっていた。
ところが、そうした中で、一人、多少他とは違った若い車夫がいたという。
どう違っていたいかというと、その車夫は、いつお客さんを運んでも、
定まった車賃以外は一銭たりとも受け取らなかった。
客を乗せて、目的地に着く。客が十五銭の車賃に心付けを五銭添えて、二十銭を渡そうとする。
するとその車夫は、「これは多い」ということで、客のたもとをつかまえ、
「ちょっと待ってください。今お釣りを差し上げますから」と言う。
客が「いや、それは祝儀だからとっておいてくれ」と言っても絶対に受けとらない。
客がそのまま帰ろうとすると、エリを正すとでもいうか粛然とした姿になって
「おつりをもって帰ってください」と、五銭のつりを渡す、というものである。
私はその話を聞いて非常に心打たれるものがあった。
客が心付けとしてくれるお金は、むろん不正なものではない。
もらっても一向さしつかえのないもので、現に他の車夫の人たちは、それを喜んでいる。
ところがその車夫は、当然の車賃以上は断じて受け取らないという精神で通していた。
つまり、十五銭のところを走ったのに、五銭余分にもらうということを、一人の人間として潔しとしない。
そういう意味の金は受け取るべきではないと自分なりの信念を持っていた。
その車夫の心意気というか、考え方に私は敬服したのである。
この話には、その車夫は程なくして他の仕事に変わり、立派に成功した、
ということがつけ加えられていたが、私はさもありなんと思ったことであった。
その後私は、独立して自分で商売をするようになったわけだが、
その過程ではつねに、この成年車夫に負けないような心意気を持って仕事を
しなければならない、この青年にはずかしくないような商売の仕方をしなければならない
という気持ちが、私の胸を支配していたように思う。
つまり、ただ何気なしに、儲かったら得だとか、よけい収入があったらそれが
さいわいだというような貧困な考え方ではいけない。
自分の力に相当した、世間から受けるべき待遇は堂々と受ける。
しかし、それ以上のものは受けないという、誰にも恥じることのない、潔い商売をすすめていく。
そこのこそ本当の商いの道があるのだという信念に立って歩むことを心がけてきたのである。
だから、自分の口から言うのもおかしいけれども、私は小さい形で商売をはじめた当初から、
その商売ぶりというものは、非常に公明正大であったように思う。
いかなる製品も売れるからといって不当な利益をむさぼったりしない。
そのかわりにこの価格なら適当だと考えたものについては、安易な値引もしない。
そのような行き方、考え方をお得意先にも説明しつつ、商売をすすめてきたのである。
これまで、私はさいわいにして多くの方がたからごひいきを頂戴し、
その仕事を成り立たせてくることができたが、それはやはり一つには、そうした
公明正大な商売のやり方を心がけてきたことに対する、世間の方がたの支持が
あったからではないかと思っている。
松下幸之助経営語録─リーダーの心得38ヵ条― より (PHP研究所)
われわれ工務店や建築会社が忘れかけていた
潔い商売。
誰に恥じることなく正々堂々と利益を頂く。
頂いた報酬に恥じない家を提供する。
業者だけが得するだけの家づくりはやらない。
この経営、利益の考え方を忘れたくないものです。